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山種美術館
〒150-0012 東京都渋谷区広尾3-12-36

130th Anniversary Exhibition: Maeda Seison and the Nihon Bijutsuin (Japan Art Institute)

生誕130年記念

前田青邨

日本美術院

―大観・古径・御舟―

 日本美術院を活躍の中心とし、大正から昭和にかけての近代日本画壇を牽引した画家・前田青邨(1885-1977)。 2015年はその生誕130年にあたります。 当館ではこれを記念し、山種美術館所蔵の青邨作品を一挙公開するとともに、横山大観・菱田春草・下村観山など日本美術院の先人たち、小林古径・安田靫彦・速水御舟・平山郁夫など同時代の画家や後進たちの作品を紹介する展覧会を開催いたします。

 1885(明治18)年に岐阜県中津川に生まれた青邨は、16歳で画家を志して上京、当時挿絵画家としても人気を博していた梶田半古の門下となります。 若き日の青邨は、この半古塾で同門の古径や奥村土牛とともに研鑽を積みました。 同時に、若手画家たちによる研究会・紅児会にも参加し、靫彦や今村紫紅、御舟らと交流し、新しい日本画の在り方を模索していきます。 一方、1951(昭和26)年より東京藝術大学で教鞭をとった後年の青邨は、制作者としてだけでなく優れた指導者としての側面も持ち、多くの秀でた後進を育てたことでも知られています。

本展の見どころ
① 山種コレクションの前田青邨全13点を、一挙公開は21年ぶり!
《蓮台寺の松陰》 《大物浦》 などの大作、長年公開されたこなかった青邨作品、写生や下図など一挙公開。
1994年の 『前田青邨―その人と芸術―』 展以来、21年ぶりに山種美術所蔵の青邨の作品をまとめて紹介。
② 青邨をとりまく各時代の日本美術院の巨匠たちが勢ぞろい!
青邨作品だけでなく、橋本雅邦、大観、春草、観山から、古径、靫彦、今村紫紅、奥村土牛、御舟、そして平山郁夫、守屋多々志まで、
青邨をとりまく各時代の日本美術院の巨匠たちの代表作品を幅広く紹介。
③ 重要文化財・速水御舟 《炎舞》、2年ぶりに特別公開!
《炎舞》 のために作られた展示室に、速水御舟の 《炎舞》 (重要文化財) が2年ぶりに登場。
最も美しく見える最先端のLED照明のもと、《炎舞》 のもつ魅力的な色彩をお楽しみください。


会期: 2015 6/27(土)~8/23(日)展覧会は終了しました。
開館時間:午前10時から午後5時 (入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(但し、7/20は開館、7/21は休館)
会場:山種美術館
〒150-0012 東京都渋谷区広尾3-12-36
URL http://www.yamatane-museum.jp

※山種美術館展覧会資料からの抜粋文章です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「前田青邨と日本美術院」山種美術館
©Y. MAEDA & JASPAR. Tokyo. 2015 E1544

生誕130年記念
「前田青邨と日本美術院―大観・古径・御舟―」展
プレス説明会 & プレス内覧会 6_29 '2015


重要文化財 “速水御舟 《炎 舞》” 2年ぶりの公開!


【展覧会の構成】 ―「前田青邨と日本美術院―大観・古径・御舟―展」プレスリリース・資料などからの抜粋文章です―

 本展では、山種美術館所蔵の青邨作品全13点のほか、師・半古の 《緑翠》、日本美術院の開拓者ともいえる大観の 《作右衛門の家》、観山 《老松白藤》、 同門の古径 《菖蒲》 や土牛 《城》、 紅児会仲間の靫彦 《平泉の義経》 や御舟 《炎舞》【重要文化財】 (2年ぶりに特別公開)などもあわせて展示します。 さらに、青邨の教えを受けた守屋多々志が恩師追悼の意を込めて描いた 《平家厳島納経》、平山郁夫 《阿育王石柱》 など、後進たちの作品まで含め、幅広い交流関係を通して青邨と日本美術院の画家たちの歩みを振り返ります。 (全作品 ・山種美術館蔵)

前田青邨と日本美術院―大観・古径・御舟―」の展覧会構成
第1章 日本美術院の開拓者たち (17点)―大観、春草、観山ら日本美術院の第一世代が取り組んだ、新しい日本画
第2章 青邨と日本美術院の第二世代 ―古径・靫彦とともに―(20点)―青邨の古画研究の徹底ぶり、臨場感あふれる大画面の歴史画の迫力を体感できる!
第3章 紅児会の仲間と院展の後進たち(21点)―青邨だけじゃない!紫紅、古径、土牛、御舟、平山、守屋の代表作品が勢ぞろい!


横山大観《作右衛門の家》

第1章 日本美術院の開拓者たち
 本章では、雅邦、鞆音、大観、春草、観山、武山など天心とともに日本美術院の開拓者として設立から再興までを支えた画家たち、そして青邨の師でもあり、日本美術院設立には特別賛助会員として関わり、以後日本絵画協会と美術院の連合展で受賞を繰り返した梶田半古の作品を紹介いたします。

横山大観(1868-1958) 《作右衛門の家》 1916(大正5)年 絹本裏箔・彩色 山種美術館蔵
 金箔を絹の裏から貼る技法「裏箔」 を使った光の表現―横山大観は東京美術学校の1期生として岡倉天心や橋本雅邦の薫陶をうけて、新しい日本画の創作につとめた近代日本画の開拓者。 本作品は、木の葉の自在なタッチに見られる南画の雰囲気、鮮やかな緑色に見られるやまと絵風の華やかさを表わしていると同時に、絹の裏に金箔を貼る裏箔の技法で柔らかな陽光を演出する工夫がなされている。


安田靫彦《出陣の舞》

第2章 青邨と日本美術院の第二世代―古径・靫彦とともに―
  本章では、山種美術館所蔵の青邨作品全13点を一挙に公開するとともに、西洋と東洋のはざまで揺れ動きながらも、欧州留学を機に中国画を基本とする線描の美に目覚め、東洋画へと回帰していった古径、そして、天平から江戸まで幅広い時代の古美術や古筆に学び、故事や古典文学への深い知識をもとに、歴史人物や物語の世界を作品の中で昇華させた靫彦の作品もあわせて展示し、青邨と盟友二人の個性と美意識をご覧いただきます。

・(左) 安田靫彦(1884-1978) 《出陣の舞》 1970(昭和45)年 紙本・彩色 山種美術館蔵
・(右) 安田靫彦(1884-1978) 《平泉の義経》 1965(昭和40)年 紙本・彩色 山種美術館蔵
 横山大観、下村観山らに続く世代として再興日本美術院の主力となっていったのは、小林古径、安田靫彦、前田青邨、今村紫紅、速水御舟ら俊英の若手画家たちでした。 特に古径、靫彦、青邨の三人は、歴史画系の師に学んで有識故実や古画など古典研究を熱心に行い、大胆な画面構成や色使いによって伝統的な歴史画の様式に新風を吹き込み、画壇の注目を集めました。


小山 硬《天草(納戸)》

第3章 紅児会の仲間と院展の後進たち
 日本美術院に参加する以前の若き前田青邨にとって、当時の制作の方向性に大きな影響を与えたのが、「紫紅会」(のちに紅児会と改名) で親しく交わった画家たちでした。 この会は小堀鞆音門下生の安田靫彦を中心に結成され、やがて松本楓湖の画塾出身の今村紫紅と速水御舟、梶田半古に学んだ小林古径や青邨らを加え、歴史画を中心に、有職故実などの古典研究も行う新進気鋭の若手の会として画壇の注目を集めました。
 本章では、古径、紫紅、御舟など紅児会で切磋琢磨した院展画家たち、平山郁夫や守屋多々志ら青邨の教えを受けて現代まで活躍を続けた後進たちの作品を通して、青邨の初期から晩年にいたる幅広い交友関係とその足跡をふり返ります。

小山 硬(1934-  ) 《天草(納戸)》 1973(昭和48)年 紙本・彩色 山種美術館蔵
 青邨の最後の弟子、小山硬の描く江戸時代の隠れキリシタン ―長崎の大浦教会でキリスト教徒の敬虔な姿に惹かれ、さらに熊本の天草で十字架をささげた漁師に出会ったことがきっかけで誕生した連作 「天草シリーズ」 の一つ。 江戸時代の弾圧下の隠れキリシタンの娘を描いた作品で、聖母マリア観音を隠した納戸で蝋燭を立て、一心に祈る姿を描く。 小山が描く色白の女性像にはマリアのイメージが重ねられているという。



日本画家・前田青邨(1885-1977)

 岐阜県中津川に生まれる。 本名廉造。 明治34(1901)年、16歳で上京し、梶田半古に師事。 明治40(1907)年、紅児会に参加し、安田靫彦、今村紫紅、速水御舟らと交流を深める。 大正3(1914)年、再興第1回院展に出品し、同人となる。 以後院展を中心に発表。 大正11年、美術院の留学生として同門の小林古径と渡欧。 昭和19(1944)年、帝室技芸員。 昭和26年より東京藝術大学教授、平山郁夫らを指導する。 昭和30年、文化勲章受章。 大観、春草ら院展の第一世代に続く、第二世代の画家として古径や靫彦とともに、大正・昭和の時代の日本画壇の中心的存在として活躍した。 歴史画を中心に、人物から花鳥まで幅広い題材を手がけた。

 前田青邨が生涯にわたって活躍の場とした日本美術院は、1898(明治31)年、岡倉天心を中心に 「日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護し、かつ芸術を奨励して未来に繋げる」 という理念を掲げ設立されました。 正員(現在の同人) には橋本雅邦、小堀鞆音、横山大観、菱田春草、下村観山ら精鋭の26名の画家が選ばれ、古典に学びながらも、個性を加味した新しい日本画のありようを探っていきました。 ところが、天心の指導のもとに大観、春草が試みた 「空気を描く工夫」、すなわち 「色的没骨」(線なしの色彩描法) が、「朦朧体」 と揶揄され世間の不評を買います。 深刻な運営資金難に陥った美術院は茨城県の五浦へ移転を余儀なくされ、天心渡米に伴い、休眠状態へと衰退します。 病に倒れた天心の没後一周忌にあたる1914(大正3)年、天心の理念と精神を受け継いだ大観や観山、木村武山、洋画家の小杉未醒(放菴) らが中心となって日本美術院を再興、第1回展を開催し再出発を果たしました。


お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
美術館公式サイト:http://www.yamatane-museum.jp/
主催:山種美術館、日本経済新聞社


出典資料:生誕130年記念「前田青邨と日本美術院―大観・古径・御舟―」 Press Release、他。
※会場写真の撮影・掲載は、主催者の許可を得て行っております。


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